政治学者で東洋学園大学教授の櫻田淳氏。
皇室を戴く国民の在り方について、大切な指摘をされている。「そもそも、皇室制度は、上皇上皇后両陛下や天皇皇后両陛下、さらに他の殿下方を含めて、
『生身の人間』によって支えられた社会制度である。
…しかしながら、そうした『生身の人間』たる方々に『無条件の無私』を半ば当然のように
求め…無邪気に喜んでいたのが特に過去数十年の国民の姿である。
それならば、この度の改元に際して、皇室の方々の『無条件の無私』に対して、どのように国民の側は
報いたのかと自問する声が出てこないのは、なぜなのか」「令和改元を機に議論を深めるべきは、どのように(『君』=天皇・皇室に仕えると共に政治権力を
行使する)『臣(しん)』の役割を担う層を構築し直し、その層の人々に皇室の方々の『無条件の無私』
を補完させていくかということであろう。
…仮に女性天皇・女系天皇が登場したとしても、『君』の活動を支え補完する『臣』の人々の層が薄ければ、
象徴天皇制度の建前の下、『生身の人間』たる皇室の方々が多大な負担を引き受けることになる現状は変わり
ようがない」「政治学でも憲法学でも、『民主主義体制をどのように機能させるか』という議論は延々と
行われてきたけれども、『立憲君主制度をどのように機能させるか』という機能はまれにしか
聞かれなかった」「国民の側の『不作為』の付けは、皇室の方々に回される。皇室制度は、永らく日本社会の『統合と安寧』
を担保してきた『重し』のようなものであるけれども、それに平然と依存し続ける姿勢を国民の側が自省しないのであれば、日本の立憲君主制度の基底は、確実に侵食されていくのであろう」
(産経新聞5月31日付)まさに傾聴すべき発言だ。
BLOGブログ
前の記事へ「男系」論者の「女系」容認
皇室「自然消滅」の危機次の記事へ